日本の歴史・宗教・事件事故

オヤジの戯言です。

アマテラス

天照大神アマテラスオオミカミ

しらない人はいないでしょ。日本神道における最高神です。でも、最初に生まれた神様ではありません。前回紹介したイザナギの禊によって生まれた神様です。

アマテラスというと女性のような印象を持ちますが、実は性別は判然としていません。ただ、伊勢の神宮の本殿の千木や鰹木が女性型を示しており、一般的には女神または女性的要素を強く持った神様とされています。

家の神棚の中央には伊勢の神宮の神宮當麻というお札が置かれ、向かって右側には氏神様のお札、左側には崇敬社のお札を置くのが一般的です。よって、アマテラスは常に中央に位置しているのです。

ではアマテラスとはどんな神様なのでしょうか。名前のごとく太陽神であり、すべての生命をつかさどっている神ですがイザナギからは高天原(天上界)の統治を命ぜられているだけで、葦原中津国(地上界)等の統治は高天原の神々の合議によって天津神(天上界の神)が行うべきときめられたのです。

よって地上界もアマテラスの統治すべき場所となったのですが、実際はアマテラスの孫となるニニギノミコトが降臨して、その子孫が天皇となり地上界を統治することになります。

しかしながらアマテラスが最高神であることにはかわりなく、地上界においても伊勢の神宮においてお祀りされています。

イザナギ・イザナミ

イザナギイザナミとは、アマテラスやスサノオ等数多くの神や国の父母であり、この二人から古事記の本格的なストーリーが展開されだします。では、いったいどんな神様なのか少し説明しましょう。

古事記は天地が初めて別れた天地開闢から話しがはじまります。ビッグバンでしょうか、それとも地球の誕生でしょうか。いずれにせよ当時の人たちにも大地や空の誕生を意識していたということなんでしょうね。

そのような中、一柱の神(アメノミナカヌシ)が現れ、お隠れになりました。その後、多くの神様が生まれたのですが、末の神様としてイザナギイザナミのペアが生まれました。そして天津神の総意によりイザナギイザナミが国作り神作りを担うことになりました。

ふたりは、まず国つくりからスタートして日本国の数多くの島を作りました。そしてその中の一つ「オノゴロ島」にふたりは降り立ち、神つくりを開始しました。最初に生まれたのがヒルコ(蛭子)という神ですが身体に障害があり、海にながされてしまいました。後日談として流されたヒルコは漂着先の村で大切に育てられ、いつの日か恵比寿(蛭子)様となったという話しもあります。

その後、数多くの神を生んだのですがカグツチという火の神を生んだ時、イザナミはその炎で大やけどをしてしまい黄泉の国へ旅立ってしまいました。

これを悲しんだイザナギは、なんとしてもイザナミに逢いたくて黄泉の国を訪ねたのですが、そこには黄泉の国の人と化した(ようするに死体状態)イザナミがおり、びっくりして地上世界に戻ってきました。イザナギは自身の「穢れ」を感じ水中で「禊」を行いました。これが史上初の「禊」と言われており、この禊の際に有名な住吉神(ツツノオ三神)等、多くの神が生まれました。そして何よりもアマテラス、スサノオという古事記前半の中心となる神も生まれたのです。

その後、イザナギは大きな活躍はありませんが子供達に仕事を与えたりスサノオを叱ったりとお父さんとしての仕事をしています。今は淡路島の伊弉諾神宮の御祀神としてお祀りされている他、熊野権現として各地の熊野神社や多賀神社の御祀神となっています。

古事記って知ってますか?

 古事記というと学生時代を思い出し気分が重くなる人もいると思います。でも、古事記の言葉すら知らない人はほとんどいないのではないでしょうか。

 戦後の教育改革により裏付けのない日本史は、そのほとんどが削除されてしまいました。1300年以上前に作られた古事記日本書紀は古さ故に信憑性に欠けると判断され、教科書には紹介のみで内容についてはほとんど触れられずに至っています。

 でも、なぜか記憶には残っている「古事記」。日本の原点が記された、この書物に日本人のDNAが何かしら反応しているのかもしれませんね。

 では、古事記とは何なのか簡単に紹介すると、、、、、

 時は飛鳥時代。当時の天武天皇の命により二人の家来が日本史の作成を開始しました。

 完成した書籍は3巻からなり、前半部分はほとんどが神話の形式をとっています。なぜ神話の形式をとったのかというと事実をありのままに書くと地方に住む豪族の知られたくない事や相互の利害に影響が出てしまい内紛のおそれがあったからだと言われています。

  そのため、差し障りなく神代の話しに置き換えて文書化されていきました。その証拠として考古学の成果で出雲の国譲りやヤマタノオロチ退治なんかも、ほぼ実証されています。でも古事記には神話として書いていますので、これらは史実であって事実ではないことになります。

  このように古事記には飛鳥時代を起点に古き事が記載されているのです。まさに古事記なのです。

  では、なぜ、今、古事記なのでしょうか。それは古事記には日本人の心のルーツが表されているからです。

  古事記は天と地の出現から神、国の誕生、そして神武天皇の即位、皇位の継承などが書かれています。それはヤマト王権大和朝廷による日本国の統一の物語です。しかし、この中に大規模な侵略戦闘の跡はありません。事実、考古学的にも弥生後期から古墳時代飛鳥時代にかけては戦の痕跡はなく、おそらく多くの部族豪族がひしめき合っていた日本において話し合いでの統一がなされたのではないかと思われる訳です。

  その証拠として全国(朝鮮半島の一部)にある古墳は、ほぼ統一した形となっています。たった百年程で日本は統一された証拠が残っているのです。

  古事記が編纂される少し前に聖徳太子による十七条憲法が制定されました。その第一条は「和を持って尊ぶ」です。これこそが日本人の本質であり、大きな和、大和の心なのです。

  これを歴史書として書き表しているのが古事記なのです。私が古事記にハマったのは自分は何者なのか、自分は何のために生きているのかの正解を古事記に見いだすことができたからです。

  人生晩年に差し掛かり、古事記に巡り会えたことは残りの人生を豊かにする、まさに運命的な出会いだったように思います。